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この小野田町は最近、薬莱リゾート計画で一躍脚光を浴びるようになりました薬莱山のある町です。宮城県内に住んでる方であれば、薬師の湯という温泉に行かれたことがあるのではないでしょうか。まっ、行かないまでも聞いたことはあるかと思います。
家は先祖代々薬莱神社に奉仕しており、四人兄弟の末っ子として高校時代までの18年間を過ごしました。
このホームページからもリンクを張っております薬莱神社が実家です。
その後、東京の渋谷にある國學院大學文学部へと進学して、そこで神職になるための勉強をはじめることになりました。
本音をいうと幼い時から親父の背中を見てきていた私には、神主にだけはなりたくないと思い続けておりました。理由は家族で何処かに遊びに行くとか、買い物に出かけるという極々普通 の家庭のようなものが無く、自分が大きくなっても絶対に神主だけはやらないぞ!と心に決めていました。それが、なぜ進学してまでも神主になろうとしたのかという理由については最後に残しておきたいと思います。 ともあれ、せっかく入った大学だから、今しかできないことを全部やって遊びまくろうと考えておりました。ところが、大学の勧誘活動で声をかけられるのは体育系のクラブばかり。自分ではサークルとかに所属してかわいい女子大生とコンパとかして軟派に大学時代を送れたら、なんて思っていたんですが甘かった。
初々しい新入生の自分 (^^ゞ(自称)には、体育系クラブのお兄さん達の勧誘が極道の勧誘と同じ位 怖いものに感じたものでした。もうこの時点で体育系クラブの包囲網から逃げることが出来なくなってしまい(経験された方は多いかも?)、とうとう弓道部に入部してしまったのです。(当時の弓道部もかなり行ってましたが、そこそこ強く女子部員も多かったし、自分を勧誘した先輩がかわいい人で、挙句の果 てにその晩先輩の方々の内、半数がかわいい女子部員と一緒に飲みに行ったのが運の尽きでした。)
田舎もんにはあまりにも刺激が強すぎました。
もちろんその場で、女子大生にのぼせて一発サインで地獄行き、その後は涙と苦労と精神病にかかったりの4年間でしたが、終ってみるとやった分だけ寂しさも人一倍出会ったかと思います。
初心者で入部して4年生の時には部員70名を超える弓道部の主将として、また弓道4段をもらい全日本弓道大会団体2位 や東京都学生弓道リーグ選的中率第10位(100射92中だったと思う)や皆中賞(1試合20射中20中)など貴重な体験をしましたが、現在は仕事に追いやられ過去の栄光でしかありません。
そんなこんなでクラブ活動で過ごした大学4年間で神職資格、文学史、大学卒業をすることができ、私にとっては軟派よりも硬派路線をとって正解だったのかなと今の年になってつくづく感じます。
卒業後は、神主としての第一歩を京都の地において踏み出すこととなりました。
京都では神職のいろはから叩きこまれましたし、様々な経験を大学の授業では教えてもらえなかった(というよりはサボってたが近いかも)実践を学ぶことができたことに感謝しております。
またその時の友人も現在でも行き来ができることを自分の宝物の1つかなと思えます。
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