当社は万壽2年(1026年)に市名坂の修林壇(現在の七北田字東裏付近旧社殿地現存)に滋賀県の多賀大社より分霊され、当地にお祀りされました。その後、天正年間(1573年~)には地域豪族国分氏の荘園三十三ヶ村の内市名坂・七北田・北根・野村・上谷刈・古内・松森・鶴谷の8つの村の総鎮守として祀られるようになりました。
国分氏が滅亡してから伊達綱宗公の時代に、七北田・市名坂に大きな宿場町が開かれるようになると当社も、七北田川の付近に霊地を卜占し、寛文2年(1662年)4月に現在の場所に遷られました。また明治5年9月七北田村の村社となり村を挙げてのお祭りが行われ、神社境内地の整備等の事業を推し進める最中、昭和4年8月31日未明、原因不明の怪火により社殿全焼という悲劇に見舞われました。
現在の社殿は神明造で建設されており、満洲事変以降の極めて物資の確保が困難な時に役員・氏子の十余年に亘る努力のもと、昭和16年5月に造営されたものです。
令和6年(2024年)には当社の創祀1000年を記念して、兵庫県西宮市鎮座の西宮神社より蛭児命が勧請され遠く離れた仙台の地で御両親の神様と共にお過ごしいただいております。